信州そば発祥の地

知っていますか?
信州そば発祥の地は伊那なんです。

いにしえに、行者は感謝とそばを伝えた。

奈良時代の山岳信仰により、山国である信濃の国には修験道場として多くの霊山が開創されました。
信州そばの発祥はこの時代にまで遡ります。
修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)は、修業のため信濃の国に入り、小黒川をさかのぼって駒ヶ岳を目指しました。途中、村人たちに温かくもてなされた役小角は、お礼としてそばの実を村人に渡し、厳しい気候でも収穫できるそばの栽培方法を伝えたのだそうです。
これが、信州そば栽培の始まり。
村人たちはこのそばを大切に育て、信濃の国全体に広めたと伝えられています。
役小角が立ち寄ったと言う内の萱の駒嶽神社では、今でも10月に行われる「行者そば祭り」に新そばを奉納しています。また、この場所には「そば発祥の地」の碑も建てられています。
一方では、伊那で収穫されたそば=「行者そば」の種は修行僧等の手によって、各地の霊山のふもとに広められたと伝えられ、今日の山岳信仰の強いところにそば処有りといわれるゆえんとなりました。

そば好きだった、高遠のお殿様

戦国時代後期頃から信州伊那地方ではそば切りが食べられており、高遠藩保科正之公は無類のそば好きであったと伝えられています。正之は1636年山形最上藩、1643年福島会津藩へ転封する時も、そば職人や穀屋などを連れて行きました。正之は高遠のお城の慣わしである客人に対するもてなし料理「辛つゆそば」をそば職人とともに奥州へ移したのです。
正之は、のちの四代将軍家綱の後見役として江戸に詰めた27年間も好んで信州そばを食し、江戸中期以降に花開いた江戸のそば文化にも大きく影響しています。

信州そば三大名産地のひとつ「入野谷郷」

南アルプスのふもと、伊那市の東部にあたる入野谷郷は、古くから信州そばの三大名産地の一つに数えられ、おいしいそばの産地として名高い場所です。
「そば」栽培には冷涼な気候が条件とされており、長野県は夏場の平均気温が25度程度であることから、良質な「そば」の栽培に適しています。その中でも伊那市は、晴天率が高く日光に恵まれ、標高が高く昼夜間の気温の差も大きいことから、良質で香り豊かな「そば」が収穫でき、また長野県内での収穫量も伊那市が第1位(264トン)となっています。

今も受け継がれるそば文化

市内には、全児童が高遠そばを作るために、そばや焼き味噌用の大豆、辛味大根などの食材を育てて収穫し、実際に自らそばを打ち感謝して食べるまでの独自の食育事業「暮らしのなかの食」の一環として取り組んでいる学校があります。
また、市内各地で自ら打ったそばで年を越していただこうと、そば打ち講座が開かれ、多くの家庭でそば打ち文化が広がっています。
今も受け継がれるそば文化、そしてその美味しさを、「ぶっとおしそば三昧」のイベントでご体験ください。

お問い合わせ
信州そば発祥の地 伊那 そば振興会(伊那市観光協会内)
TEL.0265‐78‐4111
(一社)伊那市観光協会 公式ホームページ

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